大切なのはIQ180レベルの頭脳か人を敬う心か?『アルジャーノンに花束を』をフリーターが読む
▽あらすじ
32歳になっても幼児の知能しかないパン屋のチャーリー・ゴードン。そんな彼に、夢のような話が舞い込んだ。大学の偉い先生が頭を良くしてくれるというのだ。この申し出にとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に連日検査を受けることに。やがて、手術により天才に変貌したが、、、
超知能を手に入れた青年の愛と憎しみ、喜びと孤独を通して人間の心の真実に迫り、全世界が涙した現代の聖書。
▽読んでほしい人
- なぜ知識を得る事が必要なのか考えたい人
- 理系の人
- 感動モノが好きな人
- 近くにハンディキャップを持つ人や障がいをもつ人がいる人
- 福祉に興味がある人
▽本作品の魅力
- 物語の構成
- 精神遅滞者への見方
- 知能をどう活かすか
①物語の構成
本作品は、チャーリーの「経過報告」という形で物語が進んでいく。
よって、最初のほうは、精神遅滞者のチャーリーが書いている物なので、ほぼ全て平仮名で書かれています。
物凄く読みにくいです。笑
手術の効果が得られ、IQ180に達する天才へと変化したときには、一般読者には全く分からない専門用語を用いて語られます。もちろん、漢字で。
その後、手術は失敗との結果が出、
アルジャーノンは死へ、チャーリーは元の自分へと戻っていきます。
その際は、少しずつ、平仮名表記が増え、“っ”も言えなくなる。
この構成がまず見事!
何といっても状況が掴みやすい!
天才化するときは、凄い凄い!と興奮気味で読んでいましたが、元に戻るときは、表記がかわっていくたびに涙無しでは読めません。
映画やドラマといった映像では、表情や口調でその変化を表すことができますが、活字だと難しいと思いきや、漢字・平仮名で表す方法があったのか・・・と思いました。
翻訳の小尾さんの見事な表現法だと思います。
英語版ではどうなんだろう・・・
②精神遅滞者への見方
精神遅滞者だったチャーリーを、本人が分かっていない事をいいことに、笑い者にしてきたパン屋の同僚たち。この頃のチャーリーは、皆が自分を友達だと思ってくれていると思い込んでいて、自分と仲良くしてくれていると思い込んでいるのです。ですが、
お利巧になったチャーリーは、それは友達ではなくて、ただ嘲る行為だったんだと知ってしまいます。
自分を人間として見てほしいと切に願うチャーリーの姿から、精神遅滞者でと健常者は、果たして“同じ”人間であると真に思って接している人は果たしてどのくらいいるのだろうかと考えました。
ただ、実際チャーリーにできることや理解できる事は研究上限られていることが分かっていて、そういった人たちにどう接していくかはかなり難しい問題なのではないかと思います。
ただ、チャーリーが自分は笑い者にされていたということを知った時は
純粋に胸が苦しくなった・・・
特にこの台詞
ぼくの知能が遅滞していたときは、友達が大勢いた。いまは1人もいない。そりゃたしかにたくさんの人間は知っている。ほんとうにたくさんの人間をね。でも本当の友達は1人もいやしない。パン屋にいたときは、いつもいたのにね。ぼくに何かしてくれようという友達はどこにもいないし、ぼくがなにかしてやろうという友達もいない。
チャーリーの本心がわかりますよね。
本作は、482ページから構成されていて、チャーリーの本心が語られるのはようやく394ページからです。
所謂、この長い“検査期間”本心を語れることはなかったのです。
なぜなら、精神遅滞者であったときは、そこまで深く考えることができなかったから。また、天才化してもすぐ、心をなくしてしまったから。
上記の引用でもわかるように、この時点で既に平仮名表記が増えています。
劣化し始めている最中です。
精神遅滞者である本来のチャーリーとお利巧になれたチャーリーのジレンマに合いながら、本音を語りはじめるチャーリーの心象を考えると、
これ以上苦しめないで上げてほしい・・・と思えてなりませんでした。
③知能をどう活かすか
手術を受けて、IQ180になり、一般の人が一生かけて学ぶことも
彼は数週間で網羅するほど天才的頭脳に変貌しました。
チャーリーは過去に、プライドの高い母親から虐待を受けていたことから、
ずっと「お利巧になりたい」と願い続けてきました。
なので、チャーリーにとってはこの変化は最上の幸福だったのではないかと思います・・・と思いきや。
これまで、大学でシェイクスピアについて議論してきた仲間の発言すらも、
幼稚なものと捉えるようになり、研究室のストラウス博士やニーマン教授の事すらも見下すようになっていきます。
更には、パン屋の同僚のことすらも。よって、パン屋の同僚からは見捨てられ、孤独になったチャーリー。
チャーリーも、精神遅滞者を健常者レベルの知能にする研究に参加しますが、歳月がたつにつれ、チャーリーは元の姿へと戻っていきます。
この過程の中で、彼はあることに気が付きます。
それは、「研究の根本的な目的とはなにか」についてです。
チャーリーは、この研究はあくまでも未来の人間のためとなるようなものだったにも関わらず、気付けば人間を苦しめる研究だったと自らの変化によって知るのです。
本作を読むまでは、勉強する意味は立身出世といった私利私欲のためのみだと思っていました。
本作読了後、今までしてきた勉強はいったい何のためだったのだろうかと改めて考え直すようになりました。
「何のために学び、知識を得るのか」
ここの問いについては、長くなるので別の機会で書けたらと思います。
ただ、ある一つのものに対してだけ
チャーリーはIQ180になった状態でも思いやりをもって接することができる対象があります。それは、同実験の被験者であるネズミのアルジャーノンです。
私の考察ですが、同じ傷を負う者に対しての仲間意識であったり、心からのいたわりからくるものだったのではないでしょうか。
ここまで見てみると、悲しいお話じゃないかと思いますよね笑
ただ、チャーリーは間違いなくある素敵な人物に出会っていたと思う要素があります。
それは、アリスとの恋です。
研究生の一人なのですが、彼女はチャーリーのありのままの苦痛を受け止めてくれていました。それは同情ではなく、チャーリーへの愛だと思います。
チャーリーが元の姿へ日々戻っていくとき、天才化した自分を忘れたくないからと、チャーリーは部屋の一部を散らかした状態にしておきます。
アリスがそれを片付けようとすると、彼は激怒しました。
その時のアリスの台詞、
手術を受ける前のあなたはこんなふうじゃなかった。あなたは自分の汚らしさや自己憐憫におぼれたりはしなかった、人をどなったりしなかった。あなたには、あたしたちに尊敬する心をおこさせるようななにかがあった。他の精神遅滞者に見られなかった何かがあった。
この台詞は、どのチャーリに対しても等しくある愛なのではないかと思います。また、アリスに対する激怒も、愛しているがゆえに、真のチャーリーを見せたのではないでしょうか。
そして本作の最後の経過報告で最も大切なところ!
彼は、埋葬したアルジャーノンに花を添えるよう書きました。
チャーリーはアルジャーノンを友達と呼んでいました。先ほども述べましたが、同じ被験者だからこそ分かり合えるものがある、一番身近な存在だったからでしょう。
研究結果にも、チャーリーは
「アルジャーノン・ゴードン」と書きます。
チャーリーのアルジャーノンへの尊敬の念を考えると、この作品の題名は
『アルジャーノンに花束を』としか考えられません。
余談ですが、数年前に山P主演で本作がドラマ化されましたよね。
あちらも見たのですが、
さすが山P、迫真の演技でした笑
主題歌は、ジブリのおもいでぽろぽろでも使用されている
Bette MidlerのThe Roseです。
こちらもぜひ聞いて見てください。
本作を読んでから、この曲を聞くとぴったりすぎて
涙止まりません(笑)
それではまたのブログでお会いしましょう!
Chiisanbook